考えるって、案外楽しい。

【破片から展示へ】カッセルの博物館実習で学んだ“歴史を見せる”仕事

  
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【破片から展示へ】カッセルの博物館実習で学んだ“歴史を見せる”仕事
ペコ
ペコ
Guten Tag!
ドイツでママ大学院生をやっている、あさひなペコです🐣

ドイツの大学院生活について書いてきたのに、そういえば肝心のプラクティクムについて、ちゃんと書いていませんでした😂!!!

いや、書こう書こうとは思っていたんです!!!

でも、博物館での実習は思った以上に濃くて、どこから書けばいいのか分からないまま、気づけば時間だけが過ぎていました。

ということで、プラクティクムについて記載します!!

今回も草稿とサムネイル画像はAIにお願いしました!ありがとう!

サムネイル画像の破片は、実際のものとは異なるよ!!!!!!!!AIがそれっぽいもの作ったからね!!!!!!!!

 

プラクティクムってなに?

プラクティクム(Praktikum)は、日本で言うところのインターンシップに近いものです。

ドイツの大学(あるいは義務教育機関)でも必須みたいで、プラクティクムをやることで職業を体験し、自身の進路に結び付けることが多いようです。

どうやら職種によっては、プラクティクムからスタートして、そこからFreie Mitarbeiter/inまたはボランティアという形で最低賃金くらいの給料で仕事をアシストするいわゆるOJT、そこから社員、という流れがオーソドックスみたい。

博物館系はこのルートが多いようです。

ペコがプラクティクムしたところ

私がプラクティクムを行ったのは、カッセルにある Hessen Kassel Heritage

ギリシャの壺絵ゼミ博物館ゼミなどで超絶お世話になっているスプリッター先生の直属のアシスタントです。

いわゆるWissenschaftliche Mitarbeiterinという位置づけに近いのかな?

主に Schloss Wilhelmshöhe の古代コレクションに関わりながら、古代のオブジェクト、写真資料、カタログ、インベントリ、そして小さな展示制作に触れる時間を過ごしました。

その中でも特に印象に残っているのが、「ヘルメスかもしれない陶片」をめぐる小さな展示プロジェクトです。

ペコ
ペコ
この「かもしれない」が私のプラクティクムのミソ!!

博物館の仕事は、展示室の外側から始まる

博物館の仕事というと、完成した展示室を思い浮かべる人が多いかもしれません。

静かな展示ケース。

整然と並ぶオブジェクト。

読みやすく配置されたラベル。

落ち着いた照明。

けれど実際に中に入ってみると、展示として見えるものの背後には、想像以上に地道な作業があることを知りました。

写真とオブジェクトを照合する。

古いカタログを確認する。

インベントリ番号を追う。

過去の記録と現在の収蔵状況を結びつける。

そして、分からないことを分からないまま、どのように扱うかを考える。

博物館にあるものは、ただ「そこにある」のではありません。

誰かが集め、記録し、分類し、移動させ、保存してきた結果として、いま展示室や収蔵庫に存在しています。

だから博物館の仕事は、展示室で来館者に見える瞬間よりもずっと前から始まっているのだと感じました。

ペコ
ペコ

この博物館は何してるの?がテーマの展示が2025年に開催されていますので、その際の展示レポ―もよろしければ!

ヘルメス「かもしれない」小さな破片

実習の後半で、私はひとつの黒像式陶器片に向き合うことになりました。

そこに描かれていたのは、断片的に残された男性像です。

髭のある横顔。

肩から流れる衣の線。

そして、杖のようにも見える細い要素。

この人物は、ギリシャ神話に出てくるヘルメスなのか。

それとも、別の人物なのか。

先生が持ってきたテーマに対して、分厚い本とネット、ChatGPTと向き合ってきました。

先生の結論は現状「ヘルメス」

インベントリ上ではヘルメスとして扱われていました。

けれど、破片である以上、全体の場面は失われています。

杖のように見えるものも、ヘルメスの象徴であるケリュケイオンだと断定できるわけではありません。

分厚い辞書を2日かけてくまなくチェックした

Der Neue PaulyLIMCっていう分厚い辞書があるんですけど、そこに載っているヘルメスを表す特徴的な要素もありました。

(説明面倒だからウィキ読んでください。説明ドイツ語なんで翻訳してね。)

そこ見ていても、

帽子のような形も見える。

髭もある。

衣もある。

でも、それだけで「これはヘルメスです」と言い切ってよいのか。

この問いが、実習後半の大きなテーマになっていきました。

見えているものと、見たいもの

破片を実際にスケッチ!同人誌書いてた頃が懐かしい。

この陶片を観察するために、私は何度もスケッチをしました。

最初は、見えている線をなぞるだけで精一杯でした。

けれど、何度も描いているうちに、だんだんその人物が「ヘルメスにしか見えない」ようになっていきました。

そこで大問題が発生。

ヘルメスフィルターの恐怖(笑)

それがこれ。

私は本当に陶片を見ているのか。

それとも、「これはヘルメスかもしれない」と知っているから、ヘルメスに見える線だけを拾っているのか、ということ。

自分の中で、いわば「ヘルメスフィルター」がかかっているのではないかと思ったのです。

この経験は、私にとってかなり大きな学びでした。

【見えてるもの?】切っても切り離せない解釈と観察

歴史学や考古学では、資料を読むこと、見ること、比較することが重要だとよく言われます。

でも実際に断片的な資料を前にすると、「見る」という行為そのものが、決して中立ではないことに気づかされます。

知っているから見えるものがある。

でも、知っているからこそ、見えなくなるものもある。

観察と解釈は、いつも完全には切り離せません。

だからこそ、どこまでが見えている事実で、どこからが自分の補足なのかを、できるだけ丁寧に分けて考える必要があるのだと思いました。

展示テキストは、短い論文ではない

このプロジェクトで特に難しかったのが、展示テキストの言葉選びでした。

研究として考えるなら、

「ヘルメスである可能性が高い」

「ただし断定はできない」

「他の図像との比較が必要である」

といった説明を丁寧に書けます。

けれど、展示室で来館者が読むテキストは、論文ではありません。

皆さんも、博物館や美術館に行ったとき、こんなこと思ったことないですか?!

解説文章長い!

キャプション、何が言いたいのかわからない!

結局何がスゴイのこの展示は……

みたいなやつです。

つまり、展示キャプションは

長すぎると読まれない。

専門的すぎると伝わらない。

でも、簡単にしすぎると、今度は言い過ぎてしまう。

自分が実際にキャプションを作成したとき、このバランスが本当に難しかったです。

ドイツならではの慎重な言葉選びも体験

これはドイツならではなのですが、人物の役割を説明する表現ひとつにも、かなり慎重な検討が必要でした。

例えば、ヘルメスが列を率いているギリシャの壺絵の説明。

最初は「導く」「先導する」といった意味の言葉が候補に上がりました。

しかし、ドイツ語では言葉によって歴史的な響きや印象が大きく変わります。

加えて、

ある語は強すぎる。

ある語は断定的すぎる。

ある語は、現在の文脈では別の連想を呼びすぎる。

先生と他のプラクティクムの学生との協議を経て、最終的には、「ヘルメスは集団の前を進む」というような、見えている動きに近い表現へと調整されました。

このとき実感したのは、展示テキストの言葉は、ただ情報を伝えるためのものではないということです。

言葉は、来館者の視線を導きます。

どこを見るのか。

何を根拠として考えるのか。

どこまでを確かなものとして受け取り、どこからを解釈として読むのか。

展示テキストは、短い説明文でありながら、来館者の思考の順序を設計しているのだと感じました。

展示は、文章だけではできない

さらに面白かったのは、展示づくりが文章だけでは終わらないことです。

ラベルの紙を選ぶ。

背景色を試す。

写真の大きさを調整する。

文字サイズを変える。

印刷して、切って、ケースの前に置いてみる。

画面上ではちょうどよく見えたものが、実際に印刷すると大きすぎる。

読めると思っていた文字が、展示室では少し弱い。

写真と実物のサイズ感が合わない。

そんな小さな違和感を、ひとつずつ調整していきます。

私はそれまで、展示ラベルは「文章を書いて配置するもの」「業者に委託して当たり前」だと思っていました。

でも実際には、紙の質感、色、余白、文字の太さ、展示ケースとの距離まで含めて考える必要がありました。

さらに、今回のような小規模展示の場合は、組織の印刷機を利用して、自分の手で作成する。

博物館の展示は、知識だけでできているわけではありません。

それは、視線、距離、素材、光、空間の中で成立しています。

どれだけ正確な説明でも、来館者の目に届かなければ意味がない。

逆に、ほんの少しの文字サイズや色の違いで、情報の受け取られ方は変わってしまう。

展示とは、研究成果をただ置くことではなく、見える形へと翻訳する作業なのだと思いました。

古代史は、暗記するものではなかった

ここまで読んでくれたあなた!

古代史って聞くと何を思い浮かべますか?

縄文時代?

弥生時代?

飛鳥時代?

奈良時代?

平安時代?

古代ローマ?

古代ギリシャ?

ギリシャ神話?

小アジア?

このプラクティクムを通して、私の中で古代史のイメージはかなり変わりました。

以前の私は、古代史というと、たくさんの名前、年代、神話、戦争、人物関係を覚える学問だと思っていました。

もちろん、それらの知識は必要です。

でも、実際に博物館でオブジェクトに向き合ってみると、古代史はただ過去を暗記する学問ではありませんでした。

残されたものを前にして、どこまで言えるのかを考える。

分からないことを、無理に分かったことにしない。

複数の可能性を残したまま、それでも来館者に届く言葉を探す。

断片的な資料から、過去と現在のあいだに小さな橋をかける。

その作業こそが、私にとっての古代史の面白さとして立ち上がってきました。

「問いをひらく」場所としての博物館

また今回の実習でいちばん強く残ったのは、博物館は「答えを並べる場所」ではないのかもしれない、という感覚です。

もちろん、博物館には知識があります。

研究があります。

専門家の判断があります。

でも、それは来館者に一方的に答えを渡すためだけのものではありません。

むしろ、目の前のオブジェクトを通して、来館者が自分で見て、比べて、考えるための場でもある。

小さな陶片を前に、私たちは何を見ているのか。

何を根拠に、ヘルメスだと思うのか。

どこからが観察で、どこからが解釈なのか。

そうした問いをひらくことも、展示の大切な役割なのだと感じました。

公共の中にある歴史

そしてたぶん、これは私が学んでいる Public History、つまり「公共の中で歴史を考えること」とも深くつながっています。

歴史は、研究室の中だけにあるものではありません。

展示室で、ラベルの前で、誰かがふと足を止めて「これは何だろう」と思う瞬間にも、歴史は立ち上がる。

その小さな瞬間をつくるために、博物館の仕事はあるのかもしれません。

最後に

実際の展示!写真:スプリッター先生より

このプラクティクムで考えたことは、まだうまく言葉にしきれていません。

でも、ひとつだけ確かに残っている感覚があります。

歴史は、完成された答えとして目の前に置かれているのではなく、断片から、比較から、対話から、少しずつひらかれていくものなのだということ。

小さな陶片を見つめながら、私はそのことを何度も考えていました。

 

このテーマは、ZINEでもう少し掘り下げてみる予定です。

展示とは何か。

見るとは何か。

そして、私たちは過去をどのように語るのか。

カッセルで始まったこの小さな問いを、もう少し先まで連れていきたいと思います。

 

最後まで読んでくれてありがとダンケ!

あさひなペコ

    

小さなデジタルZINEと、5通の“知の旅便り”。

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