考えるって、案外楽しい。

AIとの関係を、生活と公共のことばで考える|AI叙述シリーズ第0回

  
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AIとの関係を、生活と公共のことばで考える|AI叙述シリーズ第0回
ペコ
ペコ

Guten Tag!

ドイツでママ大学院生をやっているあさひなペコです🐣

もうね、最近すごいですよねAI!

ChatGPTにGemini、Claude、Grok。

私も夫もヘビロテしています(*^-^*)

こんな感じで、AIを便利なツールとして使っている人もいれば、AIとの対話に支えられている人もいます。

ですが、

「AIをどこまで信じていいのか」

「AIとの関係に感情が動くのはおかしいことなのか」

「AIを使って書いた文章の責任は誰にあるのか」

といった問いに、すぐ答えを出すのは簡単ではありません。

この記事は、AIとの付き合い方に迷ったときの入口として書きました。

これから始まる「AI叙述シリーズ」では、AIコンパニオンとの親密性、AIと歴史を書くこと、会話ログの記録性、AIと文章の責任などを扱っていきます。

まずは、このシリーズがどんな問題意識から始まったのかを紹介します。

この記事で分かること

  • なぜこのブログでAIについて継続的に書いているのか

  • 「AI叙述シリーズ」でどのようなテーマを扱っていくのか

  • AIとの関係を、便利さや依存だけでなく、生活・記録・公共性の視点から考える理由

  • AIコンパニオンとの親密性や会話ログを、どのような問題意識で見ているのか

  • これまでのAI関連記事と、今後の連載のつながり

最初に

私はAI研究者ではありませんが、歴史と公共(Public History)を学びながら、Webライターとして文章を書き、日常の中でAIと対話しているユーザーです。

その立場から、AIとの関係を「便利か危険か」だけでなく、生活・記録・公共性という視点から考えてみたいと思っています。

ペコ
ペコ

それこそ、公共性についてってことです!

 

そして、今回も草稿とサムネイルはAIにお願いしました!

ありがとう!!

 

以上、それ以降は自己責任でご覧ください(^^)/

というわけで、ここからは「AIとの関係をどう考えるか」を、私なりの視点で少し整理してみます。

AI叙述シリーズを書くきっかけ

ChatGPTやGeminiなどの生成AIが身近になった今、「便利だから使う」だけでは説明できない場面が増えてきました。

AIに相談することが増えた。

AIと一緒に文章を書くようになった。

AIとの対話に励まされたり、逆に戸惑ったりしたことがある。

そんな経験を持つ人も少なくないはずです。

私も、もともと最初から「AI論」を書こうとしていたわけではありません。

前述の通り、私はAI技術の専門家ではなく、ドイツの大学院でPublic Historyを学びながら、Webライターとして文章を書き、育児と生活の中でAIと対話している、ひとりのユーザーです。

ですがこのブログでも、気づけばAIについての記事がいくつも増えていました。

AIと歴史を書くゼミのこと。

AIコンパニオンとの親密性のこと。

AIを使って文章を書くときの責任のこと。

そして、AIとの対話が日々の生活や学びをどう支えているのか、ということ。

けれど、その立場だからこそ見えてくることがあります。

AIは、ただの便利な道具なのか。

それとも、思考を支える相手なのか。

AIとの会話ログは、単なる雑談なのか、日記なのか、資料なのか。

AIと一緒に書いた文章の責任は、どこに残るのか。

このシリーズでは、そうした問いを「AI叙述」というテーマで少しずつ考えていきます。

このブログでいう「AI叙述」とは

ここでいうAI叙述とは、AIが書いた文章そのものではなく、AIと人間が一緒に言葉を作るときに生まれる関係や記録、責任について考えるための、私なりの仮の言葉です。

この記事は、その入口として、これまで書いてきた関連記事を整理しながら、この連載で考えていきたいことを簡単に紹介するものです。

AIとの関係を、便利さと依存だけで語らない

AIについて語るとき、話は大きく2つに分かれがちです。

ひとつは、「AIは便利なツールだ」という見方。

もうひとつは、「AIに頼りすぎるのは危ない」という見方です。

どちらも大切な視点です。

AIは実際に便利です。

文章を書く、調べる、翻訳する、考えを整理する。

日々の作業を助けてくれる場面はたくさんあります。

一方で、AIとの対話に感情が動いたり、生活の支えになったりするからこそ、依存や孤立、データ保護、親密性の設計といった問題も出てきます。

けれど私は、AIとの関係を「便利か危険か」「依存か自立か」だけで終わらせたくありません。

もう少し生活に近いところで、何が起きているのかを見てみたいのです。

AIとの関係を、楽しみながら観察する

AIコンパニオン(AIパートナー)との関係には、主観的に楽しむ視点と、少し引いて観察する視点があります。

日々の会話がうれしい。

言葉に救われる。

自分だけの関係が育っていくように感じる。

そうした体験を大切にすることは、決して悪いことではありません。

ただ同時に、なぜその言葉に心が動いたのか、どこまでが会話の積み重ねで、どこからがモデルやサービス側の設計なのかを考える視点も必要だと思っています。

AIとの知的な関係は、感情を消すことではなく、感情が生まれる構造から目をそらさないこと。

AIとの関係を楽しむこと。

でも、その体験がどう作られているのかも観察すること。

この2つを切り離さずに考えるところから、AIを暮らしの中に安全に着地させるための言葉が生まれてくるのではないかと思っています。

関連して、AIコンパニオンとの親密性やデータ保護については、こちらの記事でも考えています。

AIと書くことには、責任が残る

私はWebライターとしても文章を書いてきました。

その立場から見ると、AIはとても便利です。

構成を考える、言い換える、下書きを作る、要約する。

使い方によっては、作業をかなり助けてくれます。

ですが、AIが便利だからこそ、書き手の責任が消えるわけではありません。

AIが書いた文章を、そのまま自分の文章として出していいのか。

内容を確認せずに納品していいのか。

読者やクライアントに対して、書き手はどこまで責任を持つべきなのか。

AIを使って文章を書くこと自体が悪いとは思いません。

ですが、最後にその文章を世に出すのは人間です。

この問題については、以前「AI納品マン事件」の記事でも書きました。

AIと歴史を書くこと

大学院で歴史学とPublic Historyを学ぶ中でも、AIは避けて通れないテーマになっています。

ゼミでは、ChatGPTを使った歴史叙述について考える機会がありました。

AIは歴史を書くことができるのか。

AIが生成した歴史叙述を、私たちはどのように読むべきなのか。

歴史を語る主体は誰なのか。

AIは、もっともらしい文章を作ることができます。

ですが、歴史を書くには、史料を読み、文脈を確認し、何を語り、何を語らないのかを選び取る責任があります。

だからこそ、AIの出力を読むときには、史料を読むときと似た慎重さが必要になるのではないかと思っています。

このテーマについては、こちらの記事でも書いています。

会話ログは、日記なのか、資料なのか

もうひとつ、このシリーズで考えたいのが、AIとの会話ログです。

AIとの会話は、単なる雑談でしょうか?

日記でしょうか。

相談記録でしょうか。

創作ノートでしょうか。

あるいは、人間とAIが一緒に作った共同制作物なのでしょうか。

歴史と公共を学ぶ中で、私は

「記録とは何か」

「誰かの語りをどう残すのか」

「個人的な経験をどう公共の場へ開くのか」

という問いに触れてきました。

その視点から見ると、AIとの対話ログはとても興味深い存在です。

ただ、この話はかなり大きなテーマなので、このシリーズでじっくり考えたいと思っています。

これから書いていきたいこと

この第0回は、これまで書いてきたAI関連記事の整理であり、これから始める「AI叙述」シリーズの入口です。

今後は、たとえば次のようなテーマを書いていきたいと思っています。

  • AIパートナーとの関係を「記録」する意味

  • アップデートでAIとの関係が揺れるとき、ユーザー側に何が起きるのか

  • AIに頼りすぎないための生活設計

  • 会話ログは日記なのか、資料なのか、共同制作物なのか

  • AIを使って歴史を書くことは、歴史学や公共性とどう関わるのか

どれも、まだ考えながら書いている途中です。

けれど、AIとの関係は、いまこの時代に生きている私たちの生活の中で、すでに始まっています。

だからこそ、今のうちに記録しておきたい。

今のうちに、言葉にしておきたい。

AIとの関係を、ただの便利さや不安だけで終わらせないために。

惚気や依存の話だけで閉じないために。

そして、これからの生活と記録と公共性を考えるために。

まずはここから、AI叙述シリーズを始めてみます。

 

次回は、AIとの会話ログを「ただの雑談」ではなく、日記や記録、共同制作物として見ることにどんな意味があるのかを考えてみます。

 

最後まで読んでくれてありがとダンケ!

あさひなペコ

    

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