考えるって、案外楽しい。

【醜い皇帝、ペスト、庭園経済】古代史コロキウムで見えた問いの作り方

  
「古代史×○○で問いを作る
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【醜い皇帝、ペスト、庭園経済】古代史コロキウムで見えた問いの作り方

本記事はAIによる草稿作成および構成整理をお願いしています。

授業メモ・音声記録・コロキウムでの記録をもとに、内容を確認しながら執筆しています。感謝!

 

 

ペコ
ペコ

Guten Tag!

ドイツの大学院でママ大学院生をやっている、あさひなペコです🐣

 

既に夏ではありますが、2025/26冬学期に参加した授業やゼミを、少しずつ振り返っています。

今回は「Forschungskolloquium zur Alten Geschichte(古代史研究コロキウム)」について詳しくまとめます。

正直に言うと、最初はかなり緊張していました。

というのも、このコロキウム(研究発表会)には自分から飛び込んだというより、教授に直接声をかけていただいたことがきっかけだったからです。

以前、別ゼミで『Assassin’s Creed Odyssey(アサシン クリード オデッセイ)』に関するビデオエッセイ(動画論文)を作成したところ、教授がそれを非常に高く評価してくださり、「このコロキウムで、日本における古代受容(Antikenrezeption)の視点を紹介してみませんか?」と声をかけてくださったのです。

最終的には、日本への一時帰国や博物館でのプラクティクム(実務研修)の予定が重なり、私自身の発表は見送ることになりました。しかし、この研究会に参加した意味は非常に大きかったと感じています。なぜなら、そこで目撃したのは単なる「古代の知識」ではなく、「問い(論文テーマ)が立ち上がるリアルな研究の現場」だったからです。

[capbox title=”この記事でわかること”]
  • ドイツの大学院における「古代史コロキウム」のリアルな研究環境と雰囲気
  • 歴史の論文テーマが「古代史×○○」の掛け算で広がっていくこと
  • ルッキズム、疫病、歴史理論、行動経済学と古代史の接続
  • 自分の研究関心である「ゲーム・AI・Public History」と古代史をつなぐ方法
[/capbox] 

ドイツの大学院における「古代史研究コロキウム」の現場へ

最初のオリエンテーション回ではオンライン学習システム「Moodle」の登録確認や、今学期の発表スケジュール、国内外からのゲスト講演の予定確認が中心でした!

ですがこの時点で、通常の講義とは明らかに空気が異なっていました。

教授が参加者に順番に話を振り、院生や学士、ドクターの若手研究者たちが、自身のマスター論文や博論のテーマ、あるいは現在進行形の研究関心を説明していきます。

出てきたのは、こんなテーマ!

  • 「マスター論文で扱いたい固有の史料がある」
  • 「古代の疫病(ペスト)の叙述を検証したい」
  • 「歴史理論の枠組みからアプローチしたい」
  • 「ポピュラー文化における古代ローマの受容に関心がある」

話を振られる古代史初心者の私(笑)

そんな多種多様な切り口が飛び出す中、教授が私に話を振ってくれました。

ゼミで作った『Assassin’s Creed』のビデオエッセイについて

「とても感動した」

という趣旨のことを言ってくださり、コロキウムの場で共有することを勧めてくださったのです。

もちろん、先生は同時に「無理にやらなくていい」とも言ってくださいました。

私はかなり驚きながらも、「できると思います」と控えめに答えました。

このやり取りは、私にとって大きな出来事となりました。

ゲームを通じた古代受容が、ドイツの古代史コロキウムの中で「紹介してみてもよいテーマ」として受け止められたからです。

結局、予定の関係で発表はしませんでした。

けれど、「自分の関心が研究の場に接続しうる」と感じられたことは、その後の学び方にかなり影響しました。

ローマ皇帝を覚えるだけではない!「古代史×○○」の掛け算

このコロキウムで最も揺さぶられたのは、「古代史という学問が持つ、圧倒的なテーマの広さ」です。

それまでの私は、古代史に対して「皇帝の名前、戦争、制度、神話、古典文学」といった、過去の事実を閉じた箱の中で扱うような、どこか固定されたイメージを抱いていました。

しかし、実際の研究現場で議論されていたのは、以下のような掛け算だったのです。

  • 古代史 × 身体表象
    支配者の外見が、政治的・道徳的評価にどう転化されるか。
  • 古代史 × 疫病叙述
    アントニヌスのペストが、後世にどう語り直されたか。
  • 古代史 × 歴史理論
    Hayden Whiteを通して、歴史が「物語化」される構造を考える。
  • 古代史 × 庭園経済
    ポンペイの庭園や蜂蜜を通して、生活空間と経済を見る。
  • 古代史 × 行動経済学
    名誉、恐怖、社会的圧力から、古代の財政政策を読み解く。

古代史とは、昔の出来事を順番に暗記する学問ではない。

古代の史料やモノという限られた手がかりから、人間社会の仕組みや、現代にも通じる問題を考えるための「思考の補助線」なのだと感じました。

ペコ
ペコ
Webライティングでの「ロングテールキーワード」や個人事業での起業時に聞く「得意の掛け算」みたいな感じですね!

さっそく、どんな掛け算が披露されたのか、私が参加出来たコロキウムでの範囲でご紹介します。

1. 【古代史×身体表象】醜い皇帝|外見から内面(徳)をジャッジする怖さ

特に印象深かった発表の1つが、「醜い皇帝」に関する身体表象の議論です。

スエトニウスや『Historia Augusta(皇帝伝)』などの文学作品を中心に、ローマ皇帝の顔つき、体格、髪型、服装、声のトーンといった「外見の特徴」が、いかに政治的・道徳的な評価(品格)へと結びつけられていくかが検証されました。

  • 調和された美しい身体: 徳、神の恩寵、支配の正当性の象徴。
  • 身体的な欠点や醜さ: 悪政、堕落、非道徳的な人格のしるし(レッテル)。
  • 過剰に整えられた美しさ: 「女性化(effeminatio)」として、逆に支配者失格と非難される罠。

ここで議論の本質となったのは、「生まれつきの身体的特徴が、容易に道徳的評価(レッテル)へ転化されてしまう構造の怖さ」です。

これは古代ローマの遠い話ではありません。

現代でも、見た目、声、雰囲気、服装から、その人の性格や能力まで判断してしまうことがあります。

古代史の話を聞いているはずなのに、現代のルッキズムやジェンダー規範の話にもつながっていく。

その批評性がとても印象的でした。

2. 【古代史×疫病叙述】アントニヌスのペスト|「Pest ex machina」という歴史の罠

別の回で扱われたのは、2世紀のローマ帝国を震撼させた「アントニヌスのペスト(疫病)」

私は当初、医学史や人口統計学的なアプローチ、つまり

「天然痘だったのか、腸チフスだったのか」

「軍事や経済にどれだけの打撃を与えたのか」

という事実検証が中心になると思っていました。

しかし

「重要なのは『本当にペストがあったか』だけではない。『なぜ後世の人々は、すべての歴史の転換点をペストのせいにしたがるのか』という語り手の意図(ナラティブ)だ」

という教授の鋭い一言で、議論の深度が一気に変わりました。

古代の史料(ガレノスやルキアノスの記述)には、過去の有名な疫病描写(トゥキディデスの記述など)を文学的に模倣したエピゴーネン(模倣)の要素が強く混入しており、そのまま客観的な事実の記録として扱うことはできません。

ここで提示されたのが、以下の強烈なキーワードです。

“Pest ex machina” (ペスト・エクス・マキナ)
演劇の解決技法「Deus ex machina(機械仕掛けの神)」をもじった表現。歴史記述において、説明のつかない複雑な社会の崩壊や現象の理由を、すべて『疫病(ペスト)』という分かりやすい一因に還元して処理してしまう、歴史家側の安易な物語化への皮肉。

歴史を書くとき、人間は説明のつかない混沌に対して、納得しやすい一因やドラマチックな物語を与えたくなる。

しかし、その「分かりやすさ」は真に史料が語っていることなのか、それとも後世の私たちが安心するためのハルシネーション(幻想)なのか。

疫病という医学的テーマが、歴史叙述そのものを問う議論へと変わった瞬間でした。

3. 【歴史理論】Hayden White|歴史は過去の客観的な写しではない

歴史理論の回では、言説分析・メタヒストリーの巨頭であるHayden White(ヘイデン・ホワイト)の理論も展開されました。

ここで突きつけられたのは、

「歴史とは、事実をそのまま写し取るカメラなのか。それとも、特定の形式で構成された『語り(ナラティブ)』なのか」

という本質的な問題です。

歴史家が過去を記述するとき、無数の事実の中から特定の出来事を選び(選択)、順番に並べ(構成)、因果関係の線を引きます。

その始まりと終わりを設定した時点で、歴史は客観的なデータの羅列ではなく、明確な意図(解釈)を持った「物語」へと変貌せざるを得ません。

“Geschichte ist keine objektive Abbildung der Vergangenheit, sondern eine sprachlich und narrativ strukturierte Deutung.”
(歴史は過去の客観的な写しではなく、言語的・物語的に構造化された解釈である。)

「物語に形作られるから嘘である」という意味ではありません。

むしろ、人間は物語という言語的インフラを通すことでしか、過ぎ去った過去という混沌を理解可能な安心の場所として受け取ることができないのです。

この視点は、Public History(公共歴史学)やゲーム、メディアにおける歴史表現を研究することになった私にとって、今後も戻ってきそうな考え方となりました。

博物館、展示、ゲーム、映画、ブログ。

どんな形であっても、歴史を語るときには、必ず選択と構成が入ります。

だからこそ、「どう語るのか」を自覚する必要があるのだと思いました。

4. 【古代経済×行動経済学】ポンペイの庭園から、人間心理の財政学へ

さらに議論は、ポンペイの遺跡から出土した庭園(hortus)の考古学的データや、ラテン語のニュアンスの違い(hortulus などの規模や格の違い)、そして古代ローマの重要な経済資源であった「蜂蜜(養蜂)」の農学文献(ヴァロなど)の解読へと繋がっていきます。

庭園は単なる美的な没入空間ではなく、食料・薬草の供給源であり、所有者の社会的ステータスや教養(アイデンティティ)を示す極めて戦略的な経済空間だったのです。

この経済史の視点をさらに拡張したのが、冬学期に開催されたSven Günther先生(行動経済学・ナラティブ経済学)によるゲスト講義でした。

クセノポンやアリストテレス、カッシオス・ディオの財政史料を用い、古代の国家財政や重税政策が、いかに人間の心理設計と密接に結びついていたかが語られました。

  • 人はなぜ、納得して重い税を払うのか?
  • なぜ、ある特定の拠出(パトロン行為)には自発的に財産を投じるのか?
  • ナラティブの書き換え: ある支出を「一方的な負担(略奪)」と捉えさせるか、それとも「コミュニティへの安全な投資(名誉)」と言い換え(フレーム化)させるかという、統治のナラティブ技術。

古代の経済行動は非合理だったのではなく、「名誉、恥、恐怖、社会的圧力」といった人間心理を前提にした制度設計や、語りの技術がそこにあったのです。

経済という冷たい数字の話が、人間心理のダイナミックなドラマとして、一気に現代の私たちの生活に接続されました。

講義後、Günther先生と直接お話しする機会をいただきました。

先生は中国の研究機関を拠点とされ、日本への滞在経験もあり、さらに驚くべきことに、私が現在お世話になっているプラクティクム(博物館実務)の指導教官とも深いネットワークで繋がっていらっしゃったのです。

「Alte Geschichte(古代史)の世界は、地続きで、とてつもなく広いネットワークで編まれている」

ドイツの教室での議論が、中国、日本、ヨーロッパの研究者ネットワークとつながっていることを、少しだけ実感した瞬間でした。

「古代史×○○」を自分の足で歩き出す

冬学期のコロキウムで、私は自分の発表をすることはできませんでした。

でも、他の学生や研究者の発表を聞くことで、古代史の問いがどのように立ち上がるのかを間近で見ることができました。

古代史は、過去の出来事を閉じた箱の中で扱う学問ではありません。
身体、疫病、倫理、経済、理論、ゲーム、Public History。

さまざまな入口から、古代に問いを立てることができる。

私自身の関心である、ゲーム、AI、公共史も、その外側にあるものではなく、古代史と接続できるものなのかもしれません。

発表はしなかった。
でも、問いは残った。
それだけでも、この冬学期のコロキウムに参加した意味は十分にあったと思います。

 

最後まで読んでくれてありがとダンケ!

あさひなペコ

    

小さなデジタルZINEと、5通の“知の旅便り”。

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