考えるって、案外楽しい。ドイツ・カッセルから、歴史と公共を生活のことばで。

歴史ゲームやマンガは学問になる?「史実と違う」の先を考えるパブリックヒストリー

  
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本記事はAIによる草稿作成およびサムネイル画像作成をお願いしています。 感謝!

 

ペコ
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Guten Tag!

ドイツでPublic History(歴史と公共)を学んでいる、あさひなペコです🐣

私は『戦国無双』をきっかけに歴史にハマった、いわゆる歴女です。

マンガも大好きで、『ゴールデンカムイ』『ドリフターズ』『蒼天航路』『花の慶次』『PEACE MAKER』『へうげもの』など、歴史を扱う作品をたくさん読んできました。

作中の人物が気になって調べるし、当時の時代背景を知りたくなる。
そこから別の作品や、実際の史実へ進むこともあります。

私にとって、ゲームやマンガは「歴史を好きになった後に見る娯楽」ではなく、そもそも歴史へ入るための大切な入口でした。

では、ゲームやマンガ、映画やドラマで描かれる「歴史」は、歴史学の研究対象になるのでしょうか?

この記事では、フィクション作品が歴史学の対象になる理由と、私たちが過去と出会う「多様な入口」について、私自身の体験や大学のゼミを交えて考えていきます!

今回の記事は、私のnoteで週一連載をしている「公共史会議」からの発展形です!(noteサイトへ飛びます) 

ゲームやマンガは歴史学の研究対象になる!

ゲームやマンガ、映画などのメディアで描かれる「歴史」は、結論から言えば、歴史学の研究対象になり得ます。

とくにデジタルゲームについて、Christoph Kühbergerは、過去への参照をもつゲームを歴史表象(Geschichtsdarstellungen)として捉え、ゲームが社会の中の歴史イメージや歴史的思考に影響すること、そして歴史学・歴史教育学がその表象と受容の両方を研究対象としていることを整理しています。

ペコ
ペコ
私が学んでいる古代史の授業でも、現代メディアを歴史の受容や表象を考える題材として扱っています!

多様なパブリックヒストリーの視点

パブリックヒストリー(Public History)の視点で面白いのは、単に「史実と合っているかどうか」だけではありません。

  • 誰が、どの媒体から歴史へ入ったのか
  • 何がその入口を開き、何が逆に入口を閉じたのか
  • そのあと人はどこへ進んだのか

上記を見ていく必要があります。

National Council on Public History(NCPH)は、Public Historyを歴史が社会の中で実際に使われる多様なあり方として説明しており、一般の人々がテレビや博物館、史跡などを通じて歴史に触れることも、その射程に含めています。

参考:National Council on Public History, “About the Field.” 

歴史作品は「現代の歴史文化」を映す鏡になる

大前提として、現代に作られた歴史ゲームやマンガ、映画を使って、「古代の人々が実際にどう考えていたか」を直接証明することはできません。

正確には、こうした作品は「古代ギリシアそのもの」を調べるための一次史料ではないからです。

たとえば、2020年代に作られた古代ギリシアのゲームは、実際に古代ギリシアで作られた記録ではないからです。

古代の社会や事実を厳密に調べるなら、碑文や文書、考古資料といった当時の一次史料を検討する必要があります。

歴史に関する問いを変えると変化する位置づけ

しかし、研究上の「問い」を変えると、作品の位置づけはガラリと変わります。

例えばこんな感じ。

  • 「現代の人々は、古代ギリシアをどう想像したのか?」
  • 「そのゲームは、プレイヤーにどんな古代像を体験させたのか?」
  • 「マンガは、歴史上の人物をどうキャラクター化して現代に伝えたのか?」

一方で「2020年代の社会が古代ギリシアをどう表象したか」と問うなら、そのゲーム自体が現代の歴史文化を示す一次資料になり得ます。

Aline DeickeとStefan Schmunkも、何を史料として用いるかは媒体そのものではなく、研究上の問いと認識関心(Erkenntnisinteresse)によって決まると整理しており、ゲームを含むborn-digitalな対象も歴史研究の資料になり得るとしています。

歴史関連作品は古代そのものの証拠ではなくても、「私たちの時代が過去とどう関わっているか」を読み解く重要な研究対象になるのです。

関連資料:Christoph Kühberger, “Digitale Spiele als Geschichtsdarstellungen – Forschungsmethodische Hinweise zur Analyse und Rezeption als Teilbereich der Digital Humanities,” 2023, S. 449–459.

関連資料:Aline Deicke & Stefan Schmunk, “Digitale Quellenkritik,” 2023, S. 107–123.

人によって違う「歴史への入口」と「その後の進み方」

このテーマを私のnote連載「公共史会議」で話していたとき、人によって「歴史への入口」と「その後の進み方」はまったく違うことに気づきました!

【マンガ派と映画派】人によって異なる「過去への回路」

私自身は完全に「ゲーム・マンガ型」です。

冒頭の通り、PSのゲーム『戦国無双』と『三國無双』が歴史への大きな扉になり、その後は歴史系マンガを通じて人物や時代への関心が広がっていきました。

大河ドラマは興味がある時代や人物なら観るけど、本当に面白いと思ったものだけ。
歴史映画はかなり好みを選ぶため、あまり観ない派です

一方で、私の友人は理系で、学校の歴史の授業はずっとニガテだそうで、ゲームやマンガから歴史にハマった経験もないそうです。

ですが、映画やドラマは大好き。

だから歴史ものも「映画やドラマなら自然に見られる」と言っていました。

こんなかんじで、同じように「歴史に触れる」といっても、人によって入りやすい媒体はまったく違います。

  • 学校の授業や教科書は苦手でも映画なら見られる
  • 分厚い本を読むのはしんどくてもマンガなら人物に感情移入できる
  • ゲームなら自分で世界を歩くことで時代に関心が湧く

この記事で注目したいPopular History(大衆向けに流通する歴史表現・歴史文化)の強みの1つは、このように「教科書以外の複数の入口」を作れることです。

【映画の例】原典へ戻る人、残酷描写で足が止まる私

入口が違うだけでなく、作品に触れた「あと」の動きも人それぞれです。

家族で映画『Odyssey(オデュッセイア)』を見たとき、夫は「学校で読んだけれど、内容はもう忘れていた」と話していました。

映画を見終わったあと、なんと彼は原作の本を注文したのです。映画がきっかけとなり、昔読んだ原典へ戻っていきました。

一方の私はというと、『イリアス』や『オデュッセイア』の物語は、ギリシャの壺ゼミをもとに断片的に知っていましたが、映画を見たあとに「原作を読もう」とは思いませんでした。

作品の流血や残酷描写が私には刺激として強すぎて、そこで少し距離ができてしまったからです。

どうやら、

映画を見る → 原典(古典)へ進む

という道は、全員に共通する一本道ではないようです。

  • 原典へ進む人もいる
  • 別の関連作品へ進む人もいる
  • その作品単体で満足して止まる人もいる

作品が何を描いたかだけでなく、

「受け手がその後どう動いたか」

まで追うことで、社会の中で歴史がどう受け入れられているかが見えてきます。

関連資料:Christoph Kühberger, “Digitale Spiele als Geschichtsdarstellungen – Forschungsmethodische Hinweise zur Analyse und Rezeption als Teilbereich der Digital Humanities,” 2023, S. 449–459.
関連資料:Angela Schwarz, “Quarry – Playground – Brand. Popular History in Video Games,” in Martin Lorber & Felix Zimmermann (eds.), History in Games: Contingencies of an Authentic Past, transcript, 2020, pp. 25–46. (DOI

参考:Ubisoft, “Discovery Tour: Ancient Greece Now Available,” 11 September 2019. 

【ゲームの例】アサクリ本編で挫折し、Discovery Tourで世界が開いた話

この「入口の開き方・閉じ方」を強烈に実感したのが、『Assassin’s Creed Odyssey(アサシン クリード オデッセイ)』でした。

私はカッセル大学のゼミでこのゲームを扱いました。

受講希望者が多すぎてキャンセル待ちが出るほどの人気で、歴史ゲームへの注目の高さを肌で感じました。

私もゼミのためにゲームを購入したのですが……

本編の最初のチュートリアルで、早くもしんどくなってしまったのです。

理由は、戦闘シーンや流血・残酷描写でした。私はこうした刺激の強い表現がかなり苦手だったから。

ところが、同じゲームの中に収録されている「Discovery Tour(ディスカバリーツアー)」は違ったんです。

Discovery Tour: Ancient Greeceは、戦闘や本編のゲームプレイ上の制約から離れ、古代ギリシアの世界を自由に探索しながら、ガイド付きツアーや歴史解説に触れられるモードです(Ubisoft, 2019)。

これには夢中になり、クノッソス宮殿をはじめ、さまざまな場所を楽しく歩き回っていました。

ここで大事なのは、私は「ゲームが嫌いだったわけではない」ということです。

  • 同じ人間が
  • 同じゲームシリーズを使って
  • 同じ古代ギリシアの世界に触れている

それなのに、「戦闘中心の体験」では入口が閉じ、「探索・観察中心の体験」では大きく入口が開いたのです。

歴史への入口を決めるのは、「ゲームか、映画か」というメディアの種類だけではありません。
「受け手の好み × メディア × 体験の設計」の掛け合わせによって、好きへの扉が開くかどうかが決まります。

Public Historyの視点:「何を見せたか」だけでなく「どう体験させたか」を問う

Ubisoftは『Discovery Tour: Ancient Greece』を、古代ギリシアを「living museum(生きた博物館)」として探索する教育的な体験と位置づけています。
また、Discovery Tourという仕組みの設計思想について、シリーズの歴史担当Maxime Durandは、ゲーム上の創作と歴史情報を切り分け、史料や制作上の判断も見える形にすることを目指したと説明しています。

ここではゲーム空間が、単に敵を倒すためのステージではなく、

「歴史を見て歩き、学ぶためのメディア」

として機能しています。

もちろん、ゲーム会社が構築した3DCGの世界ですから、本物の博物館や史跡そのものとは異なります。

画面の構図や巡るルート、解説文、コントローラーの操作感に至るまで、すべてに作り手の意図(編集)が入っています。

歴史作品だって立派な研究対象になる!

ここで、冒頭の「ゲームやマンガは歴史学の研究対象になる!」に話がつながります。

実際の歴史ゲーム研究に焦点を当てるなら、Kühbergerは、デジタルゲームを「史実とどれだけ一致しているか」だけで検証するのでは媒体固有の性質を十分に捉えられないと指摘。
物語の構造やゲームルールや行為可能性、さらにプレイヤーがどう受け取り、歴史イメージを形成するのかまで分析対象に含めています。

つまり、作品が作り出した体験の構造と、その受容をあわせて見ること自体が、歴史表象や歴史文化を考える研究アプローチになるのです。

だからこそPublic Historyでは、次のような問いを立てられます。

  • 何を見せて、何を見せなかったのか?
  • どのような順番で体験させたのか?
  • 受け手に「何をさせた(どんな行動をとらせた)」のか?
ペコ
ペコ
私の修士論文では、この辺を取り扱う予定です!

関連資料:Christoph Kühberger, “Digitale Spiele als Geschichtsdarstellungen – Forschungsmethodische Hinweise zur Analyse und Rezeption als Teilbereich der Digital Humanities,” 2023, S. 449–459.

歴史作品を「史実に忠実か」だけで採点しないための4つの視点

もちろん、歴史作品と史実の違いを確かめること(時代考証の確認)は大切です。

しかし、歴史作品に対して

「史実と違うからダメ」

「嘘が混ざっているから無価値」

で終わらせてしまうと、その作品が社会の中で果たしている役割を見落としてしまいます。

歴史を扱うフィクションを見るときは、次の4つの視点に分解して整理すると、ぐっと解像度が上がります。

何を史実・研究として参照したのか

監修者は誰なのか、参考文献や制作資料、開発者インタビューなどを確認すると、色々見えてきます!

何をフィクションとして改変したのか

人物の性格、出来事の順序、地理、衣装、制度などの変更点を見てみましょう。

なぜ変更や演出が必要だったのか

物語の面白さ、ゲーム性、上映時間、対象年齢、刺激の調整など、媒体の制約や演出意図を考えると、見方が変わりますよ!

受け手は何を持ち帰り、その後どこへ進んだのか

人物を調べたのか、原典を読んだのか、史跡を訪れたのか、別の作品へ行ったのか、そこで止まったのかを見てみましょう。

この視点を持つことで、作品は単なる正誤判定のテストではなく、「歴史が社会の中でどう受け止められ、どう広がっていくのか」を観察するための生きた手がかりになります。

関連資料:Christoph Kühberger, “Digitale Spiele als Geschichtsdarstellungen – Forschungsmethodische Hinweise zur Analyse und Rezeption als Teilbereich der Digital Humanities,” 2023, S. 449–459.

関連資料:Angela Schwarz, “Quarry – Playground – Brand. Popular History in Video Games,” in Martin Lorber & Felix Zimmermann (eds.), History in Games: Contingencies of an Authentic Past, transcript, 2020, pp. 25–46.(DOI

おわりに|人は、自分に合う回路から過去へ入る

歴史に興味を持つきっかけは、学校の教科書や学術書だけではありません。

  • ゲームかもしれない
  • マンガやアニメかもしれない
  • 映画や大河ドラマかもしれない
  • 史跡めぐりや博物館、YouTube、SNSかもしれない

さらに同じ媒体の中でも、戦闘が好きなのか、世界を探索したいのか、ストーリーを追いたいのかによって、届く人は変わります。

だからこそ、Popular History(大衆向けに流通する歴史表現・歴史文化)の役割は、単に「専門的な歴史をわかりやすく噛み砕くこと」だけではないはずです。

多様な好みを持つ人たちに向けて、多様な入口を用意すること。

そしてその入口の先に、原典や史跡、学術研究へと進める「次の扉」を開いておくこと。

そうした体験のルートを設計し、見つめ直すこともまた、「歴史と公共」をつなぐ大切な仕事なのだと思います。

歴史への入口は、ひとつではありません。

あなた自身は、どんな作品や体験から過去の世界へ足を踏み入れましたか?

 

最後まで読んでくれてありがとダンケ!

あさひなペコ

 

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小さなデジタルZINEと5通の“知の旅便り”。

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