【ドイツ伝説の音楽】往年のポップグループ「Dschinghis Khan」が面白い!

Guten Tag!!!
ドイツ在住デジタルノマドのあさひなペコです!
突然ですが、あなたはドイツのポップ・カルチャーをいくつ知っていますか?
ペコ、ドイツ語やWebライティングだけでなく、ポップカルチャーもそこそこ詳しいぞ!
ドイツの音楽も大好きです!!
そこで今回は、あなたが絶対に1度は聞いたことがあるドイツの伝説的ポップミュージックグループ「Dschinghis Khan」についてご紹介します!
音楽をきっかけにドイツに興味を持ってもらえたら幸いです!
Inhalt (目次)
彼らの名は「Dschinghis Khan(ジンギスカン)」
お肉じゃありませんw
ジンギスカン/CD/VICP-2119 |
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こっちですww
パッと見、この人たち超怪しいと思いませんか?(笑)
彼らこそ、旧西ドイツが生んだ超有名ポップグループ・Dschinghis Khan(ジンギスカン)です!
何を隠そう、彼らはこの曲を歌っております!!
この曲は、日本でも79年以降のディスコミュージックとして大流行しているんです!!!
なんで流行ったのか謎(彼らってよりは、この音楽の曲調やパフォーマンスなのかな?)ですが、ペコと同じ年代以上のあなたは、絶対1度は耳にしていると思います!
しかもペコ、幼稚園の頃に、この曲に合わせて運動会でダンスしてたし、高校時代~20代前半までプレイしていた音楽ゲーム「ポップンミュージック」でも採用されているレベルでした!
最近、ainiのオンライン語り場で話した20代の方も「曲は知っている」とのこと!
だから、生きているうちに一度は耳にしている人も多いかもしれませんね!
1995年に日本にも来ている!
さらにメンバーのレスリーさん、エディナさん、そしてスティーヴさんの3人は、1995年に最初で最後の来日を果たしています。
このことについては、後半で詳しくご紹介してますので、最後まで読んでみて!
ドイツミュージックのライブでは明らかすぎるクチパクが結構横行していて残念さを感じるんですが、この映像では全員ちゃんと声を出して歌っていますので、ぜひ見てほしいです!!
「Dschinghis Khan(ジンギスカン)」ってどんなグループ?
彼らの詳細については、ウィキ先生に聞いてみることから始めましょう。
ジンギスカン(ドイツ語: Dschinghis Khan)は、1979年から1985年にかけて活躍した西ドイツの音楽グループ。
1979年にデビューした西ドイツのミュンヘン出身の男女6人組(後に5人組となる)の音楽アーティストグループ。『ジンギスカン』や『めざせモスクワ』などが世界的に大ヒットし、1979年にはドイツの映画Sunnyboy und SugarbabyでDschinghisKhanとして出演しパフォーマンスしたりもしている。
彼らが、80年代のドイツ・ポップミュージック界をけん引してたことがわかるのではないでしょうか。
ここでおべんきょ!ドイツの東西分断時代について!
「Dschinghis Khan(ジンギスカン)」が活動してた時期っていうのは、まだドイツが東と西に分かれていた東西分断の時代です。
これは、第二次世界大戦で敗北したドイツが、その土地を米英仏・そしてロシアによって分割されて、占領されていたっていう歴史があるという意味です。
世界史の教科書でも必須項目と言っても過言ではないドイツの東西分断。
ドイツ東西分断って、こういう風👇に思うじゃないですか!
やっぱりこれかなぁ#子供の頃の勘違いをあえて言おう pic.twitter.com/zkLubgCQs3
— 寄星蟲 (@kisei64) August 14, 2019
でも、実際はこっち👇だよ!!
このなかでも、ベルリンに至ってはまた特殊!
ザックリいうと、ベルリンの市内の中に東ドイツと西ドイツの国境が敷かれていて、市内で東西分断されているという状況😨
おっと、話が逸れてしまったので戻そう!
Dschinghis Khan(ジンギスカン)メンバーの出身地であるこの時代のミュンヘンは、青紫色でマークされている”西ドイツ”ってくくりでした。
ミュンヘンは、バイエルン州の州都です!
Dschinghis Khan(ジンギスカン)のオリジナルメンバー!波瀾万丈のグループ史
さて、当時のドイツの状況をザックリ拾ったところで今度は「Dschinghis Khan(ジンギスカン)」のメンバー史について触れましょう。
「Dschinghis Khan(ジンギスカン)」はオリジナルメンバーが強く関与しているものから、メンバー総入れ替えで現在も活動している「新生Dschinghis Khan(ジンギスカン)」があります。
この項目で触れるのは、オリジナルメンバーが強く関与している部分です。
結論から言うと、この人たちは、本当すごい!!!
地名や歴史上の人物・カテゴリを題材にしたポップな歌を展開しただけでなく、パフォーマンスも上手!
ペコも大学時代に友達とよく踊りをマネしてたものですw
そんな彼らのグループ史は本当に涙あり、笑いありの波瀾万丈でした。
ハイライトが多すぎるので、先に概要を書いておきますね。
- 衝撃!メンバーが6人から5人になる
- 【5名で活動】大王ルイスに衝撃の変化が!
- 再結成にスキンヘッドの青い人・スティーヴさんが動いた!
- 再結成奔走時に知るメンバーの死
- 悲報!緑のヒゲの人・レスリーさんも再結成不参加(´;ω;`)
- 2005年復活!伝説の「ロッキング・サン」
- 【衝撃】スティーヴさんは余命宣告を受けていた
気になるトピック多いですね!
彼らのあゆみを、一緒に見てみよう!
衝撃!メンバーが6人から5人に!
「Dschinghis Khan(ジンギスカン)」は最初、男性4人、女性2人の合計6人のグループ構成でした。
メンバーは、下記の通り。
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- ルイス・ヘンドリック・ポトギターさん(通称:大王)、南アフリカ・プレトリア出身のドイツ系
- エディナ(イダイナ)・ポップ (黄色の人)、ハンガリー・ブダペスト出身のドイツ系
- ヘンリエッテ・パオリーネ・シュトローベル(ハイヒェル)(赤の人)オランダ・アムステルダム出身、方言含むドイツ語堪能
- スティーヴ・ベンダー(青のスキンヘッドの人)、旧西ドイツ・マインツ出身
- ヴォルフガング・ハイヒェル(黒の人)、旧東ドイツ・マイセン出身
- レスリー・マンドキ(緑の人)、ハンガリー・ブダペスト出身
上記のジャケットを参考に、色と外見で覚えよう(笑)
彼らは、『ジンギスカン』や『目指せモスクワ』といった有名なタイトルだけではなく、歴史上の人物や有名なをテーマにした楽曲などを歌っていました。
ペコさんのお気に入りは、『ハッチ大作戦』!
『ハッチ大作戦』のハッチとは、ドイツの小説家カール・マイさんの作品に登場する架空の人物「Hadschi Halef Omar」のことだそうで。
今まで私、まじで中東の歴史上の人物かと思ってた😂
ネット検索すると「Dschinghis Khan(ジンギスカン)」の最高傑作とするファンもいるそうですよ!
その後、われらがスキンヘッドのスティーヴさんが、1981年に脱退(´;ω;`)
なんと、理由は腰痛の悪化によるドクターストップ!!!
そりゃ、あんなむちゃぶりな振り付けをしょっちゅうやってたら、腰も痛めるわな。
【5名で活動】大王ルイスに衝撃の変化が!
そして、その後は5人でも精力的に活動していました。
以下はペコさんの大好きなドイツの妖精を題材にした歌『ローレライ』は、スティーヴさんが抜けて5人での活動後の曲です。
このころから、あの大王ルイスさんは普通の見た目と衣装になってきていますw
初めて見たら「大王ポジションにいる、この人誰!?」状態ですよね(笑)
上の動画で見たことのない長身のヒゲの人、実はあの大王ですw
大王ルイスさんが普通の見た目になったのには、ちゃんとした理由があります。
裏話!スティーヴさんの穴を埋めたのは大王ルイスさんだった!!
腰痛によりドクターストップがかかって抜けたスティーヴさんの穴を埋めたのは、大王ルイスさんだったんです!
1983年の映像だそうですが、動画の真ん中にいる7:3の前髪のヒゲの人が大王ルイスさん!
スティーヴさんがいたときの大王ルイスさんは、ダンスメイン。
動画見ていただければわかりますが、「もすかう」時代とか動きがすごすぎて、スティーヴさんやヴォルフガングさんがついてくのにやっとな感じでしたよね😅
さらに大王ルイスさんは声がメンバーの中でも一番低かったのだとか。
しかし、スティーヴさん腰痛で抜けてからは、彼が歌ってたところを大王ルイスさんが代わりに歌ってたって裏話があります!
掲載動画の2分50秒くらいから始まる『ハッチ大作戦』や3分45秒『ローレライ』では、その部分がとても顕著!
想像ですが、きっと療養中のスティーヴさんはメンバーに感謝していたでしょうね(´;ω;`)
そんなこんなで5名で活動してきた「Dschinghis Khan(ジンギスカン)」は、上記動画の2年後である1985年に解散しました。
「Dschinghis Khan(ジンギスカン)」復活⁉スキンヘッドの青い人・スティーヴさんが動いた!
1985年に解散した「Dschinghis Khan(ジンギスカン)」。
その後、時を経て腰痛でドクターストップを食らっていたスティーヴさん(青のスキンヘッドの人)が、全世界にちりじりとなったメンバーを集めなおして、再結成することを決意!!
しかし、メンバー再結成の中には辛いこともありました。
再結成奔走時に知るメンバーの死
再結成に奔走するスキンヘッドの青い人・スティーヴさんを待っていたのは衝撃の訃報でした。
メンバーのうち初期時代に真ん中で華麗なダンスを披露し、スティーヴさん脱退後に代打を担っていた大王ルイスさんが、エイズ合併症の末に自分の出生地である南アフリカで亡くなったことが発覚します。
この訃報で、もう二度と「Dschinghis Khan(ジンギスカン)」フルメンバーで歌うことがなくなってしまったんです。
きっとメンバーをはじめ、特に再結成に力を尽くしていたスティーヴさんは、本当に悔しかったし、悲しかったと思います。
これを書いているペコも半泣き状態です(´;ω;`)
悲報!緑のヒゲの人・レスリーさん再結成に不参加(´;ω;`)
緑のヒゲの人(レスリーさん)は、さんが再結成に議員を目指していた関係で、再結成に参加ができなかったのです。
解散後に会社経営をしていたレスリーさんは、スティーヴさんが声をかけてくれた当時、なんと議員を目指していたそうです。
でも、議員になるための活動をしているときに、テレビやライブにでちゃったらまずいですよね!
レスリーさん、逮捕されちゃうw
これは、政治に詳しくなくても、なんとなくわかりますよね。
ペコさんもだよw
ってことで、再結成の話が入っても、レスリーさんは参加できなかったそうです。
貴重な映像!1995年の日本のテレビ出演!
何度見ても神動画!!(´;ω;`)
「Dschinghis Khan」のメンバーは日本のテレビ番組のオファーに応じて、メンバーの中で3人が日本に来日してくれてたのです!
向かって
- 左:レスリー(緑の人)
- 中央:エディナ(黄色い人)
- 右:スティーヴさん(青い人)
立ち位置もほぼ同じ(´;ω;`)
レスリーさんは同じくハンガリー出身のエディナさんとは特に親しい間柄だったようですし、エディナはスティーヴと同世代だったことやメールを学ぶなど仲良しだったというエピソードもあるようなので、なんだかほっこりしますね。
議員を志すタイミングだったレスリーさん。
日本だったら大丈夫だと思ったのでしょうか(事実確認できてないので想像の範囲ですが)、日本に来て一緒に「もすかう」や「ジンギスカン」をうたってくれて、なんか感動しかありません。
レスリーさん自身すでに音楽活動から身を引いているそうなので、ある意味貴重すぎる映像です。
余談ですが、黒い人ヴォルフガングはスイス、赤い人ヘンリエッテは当時マヨルカ島(スペイン)にいたそうで、出演を見送られたそうです。
コメント欄を見ても日本にもファンがいて、海外のファンも注目の動画だということがわかります(´;ω;`)
うれしい(´;ω;`)
2005年、Dschinghis Khan(ジンギスカン)復活!伝説の「ロッキング・サン」
スティーブさんの尽力で、亡くなった大王ルイスさん、レスリーさん(緑の人)を除く残りのメンバーは全員再結集!
さらに、ここですごいことが起きます!
なんと、2005年12月、若手のダンサーたちを迎えた新生・Dschinghis Khan(ジンギスカン)として、ロシアのモスクワでライブを行うっていう快挙を成し遂げるんです!!!
しかも、規模が半端ないです。
とくにこの映像は、スティーヴさんが、レスリーさんが歌ってた英語歌詞を熱唱しているところ、グッとくるよ!!!(´;ω;`)
当時のライブはファンの間で伝説の「ロッキング・サン」って言われています。
知らない人にとっては
「どうみても普通のライブやん!」
「伝説な意味がわからん」
と思うかもしれません。
伝説のライブと言われるのには、理由があります。
【衝撃】スティーヴさんの余命宣告
そう!!!!!!!!!!!!!!!!
スティーヴさん、実は当時すでに末期の肺がんだったんです。
再結成ライブの前年である2004年の夏に肺がんだったことが発覚し、すでに余命宣告を受けていました。
さっきの動画の熱唱や激しいパフォーマンスからは想像できませんよね。
その最中で「Dschinghis Khan(ジンギスカン)」再結成への動きですから、スティーヴさんにとって本当に「Dschinghis Khan(ジンギスカン)」はかけがえのない存在だったのでしょうね。
もちろん、メンバーはスティーヴさんの事情を承知の上で再結成を承諾し、ライブを行っていました。
そして、ライブから数か月後の2006年5月に、スティーヴさんは肺がんにより亡くなりました。
ファンにも紳士的で、日本のファンサイトにも顔を出してコメントをしていたスティーヴさん。
スティーヴさんにとって、Dschinghis Khan(ジンギスカン)は、宝物だったんでしょうね。
ほんとうにありがとう。
Dschinghis Khan(ジンギスカン)のその後?
その後の「Dschinghis Khan(ジンギスカン)」は、これまでのメンバーであるヴォルフガングさん、ヘンリエッテさん、エディナさんに加えて、新たにメンバーを4人とバックダンサーやコーラス集団を加えた、計7名でパフォーマンスを続けています。(音源も出してます!)
さらに2018年には、本家Dschinghis Khan(ジンギスカン)とヴォルフガングさんのDschinghis Khan(ジンギスカン)に分かれて活動するという、もはや本家もよくわからない状態になっているそうです(笑)
本家の知らないところで、ヴォルフガングさんのDschinghis Khan(ジンギスカン)は、なんと日本を含めた世界各国ライブを計画中なんだとか!
迷走しているなぁ(困惑)
ドイツ語が分からない?空耳で楽しんじゃえばいい!
ペコさんがめっちゃ布教しているDschinghis Khan(ジンギスカン)の楽曲だけど、実は日本のカラオケにもいくつか入っています!w
もし、ドイツ人と日本でカラオケに行くことになったら、歌えたら面白いですよね!(笑)
でも、ドイツ語読めないし、どうしたらいいんじゃー!!!
っていうあなた!
大丈夫!
ペコさんのおすすめ動画を紹介します!
『目指せモスクワ』の空耳『もすかう』の動画です!!!
ペコさんもドイツ語始めたての大学1年生のとき「Dschinghis Khan(ジンギスカン)」の曲を歌いたいけど、どうしたらいいのかと思ってたら、この動画に出会いましたw
これなら、なんとなくドイツ語を学べて、しかも空耳が面白いからオススメです♡
面白すぎておなかもよじれるから、おそらくDschinghis Khan(ジンギスカン)の『目指せモスクワ』の原曲が気になってしょうがなくなりますよ(笑)
まとめ
この記事では往年のポップグループ「Dschinghis Khan」についてオリジナルメンバーの歩みを動画を交えてご紹介しました。
腰痛で脱退したスティーヴさんの解散後からのアクションは、メンバー史を知っているからこそ感動できますし、ただ上がっている動画を視聴する際も涙なしでは見れないでしょう。
実は「Dschinghis Khan」は日本のサムライを題材にした曲も発表してます!
この記事を読んだ後にこのサムネイル、ハイライト動画を見ると、なんだか感慨深くなりませんか?
私は今にも泣きそうです(笑)
時は令和で、こうしてSNSやインターネット上をとおして楽曲を聞けるのは本当にすばらしいことですし、かけがえないことです。
ありがとう、テクノロジー!
こういうのを使いながら、日本とドイツを繋ぐ材料にしみては!?
この記事をきっかけに、ドイツ語やドイツの世界に楽しく触れてみてください😃
ドイツの曲に、楽しくふれてみましょ♡
あさひなペコ
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