【気候危機の時代に“歴史”をどう語る?】カッセル大学の哲学ゼミで考えたこと
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Guten Tag!
ドイツでママ大学院生をやっているWebライターのあさひなペコです🐣
2024年の夏学期(=ほぼ臨月間近w)、私はカッセル大学で開講されたゼミ「Geschichtstheorie und -wissenschaft im Angesicht des Anthropozäns(人新世における歴史理論と歴史学)」を受講しました。
まさに気候危機と「歴史」をつなぐゼミ、っていう異色のゼミです。
今回はその時のレポートを、覚えている限りで書いていきたいと思います!
- 歴史哲学に興味がある
- 気候変動に関心がある
- 歴史と気候ってなんのかんけいがあるの!?と思った人(笑)
はぜひ読んでみてください!
気候危機と「歴史」をつなぐゼミ
タイトルからして難しそうですが、テーマはシンプルです。
💭 「気候危機の時代に、私たちは“歴史”をどう語るのか?」
地球温暖化や環境破壊という現実が、人間の営みのスケールを超え始めている今。
「歴史=人間の物語」という前提そのものが揺らいでいる——そんな問いから始まる授業でした。
担当講師は日本好き!?
このゼミの担当はアンドレ・クレッバー先生。
じつはクレッバー先生は日本で研究留学を行うレベルで日本に関心がある方でした!
しかも、いきなりやってきた日本人ママ学生なペコにもメチャクチャ親切でした😿
授業後にいつも質問に回答してくれたり、臨月・出産で大変だったときも1年以上レポート提出待ってくれたり、ドイツ式Hausarbeitの仕組みが分かっていない私にオンラインでアドバイスしてくれた上に書き直しのチャンスくれたり……神様でした。
今はドイツに戻られているのですが、また会う機会があったら日本トークしたいぜ!
おっと、話しがそれた!
では本題に移ろう。
人新世(Anthropozän)ってなに?
最初に読んだのは、最初に読んだのは、オゾン層研究でノーベル賞も受賞した大気化学者ポール・クルッツェン(Paul Crutzen)と、生態学者ユージン・ストーマー(Eugene Stoermer)による短い論文「The Anthropocene」。
ここで提案されたのが、「私たちはもはや“人間の時代”に生きている」という衝撃的なアイデアです。
つまり、ここで初めて「人間の時代=Anthropozän」という言葉が提案されました。
自然と人間の境界があいまいになる時代
産業革命以降、人類の活動は地質学的スケールで地球を変え、CO₂の増加や大量絶滅すら引き起こしている。
つまり「自然の歴史」と「人間の歴史」が、もう分けられなくなった。
これまで歴史学は“人間が作った世界”を語る学問でした。
けれど、人間の痕跡が地層に刻まれるほどになった今、歴史を語ることは、地球を語ることと同義になりつつあります。
歴史学にできることはあるのか?
次に登場したのが、インド出身の歴史学者でシカゴ大学教授のディペシュ・チャクラバルティ。
彼はポストコロニアル研究(植民地主義後の歴史学)で知られる学者で、「地球規模の気候危機が、歴史の語り方そのものを変える」と論じたことで有名です。
2025年夏に受講したポストコロニアリズムのゼミでも登場して、ようやく点と線がひとつになりました😅
彼の「The Climate of History: Four Theses」は、ゼミの中心テキストでした。
チャクラバルティの「否定的な普遍史」
チャクラバルティは言います。
「気候危機は、歴史の“普遍性”を問い直す出来事だ。」
これまでの歴史は、資本主義・進歩・人間中心の時間軸で語られてきた。
でも地球規模の危機の前では、「人類全体」という単位ですら責任も時間感覚もバラバラになってしまう。
チャクラバルティはこの矛盾を「否定的な普遍史(negative universal history)」と呼びます。
つまり、“人類全体が同じ危機を共有している”という意味では普遍的、でもその責任や影響は決して平等ではない。
この複雑な構図を、どう歴史として語るか。
それが私たちの課題でした。
アドルノとホルクハイマーの声を聴く
ゼミ中盤では、20世紀ドイツを代表する哲学者 マックス・ホルクハイマー と テオドール・W・アドルノ の共著『啓蒙の弁証法(Dialektik der Aufklärung)』をドイツ語版・日本語版と読みました。(日本語版は完全に自主的に購入)
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二人は、フランクフルト学派と呼ばれる社会哲学の中心人物で、“理性”や“進歩”を信じた近代社会が、かえって戦争や支配を生み出してしまったという逆説を鋭く批判しました。
超難解!アドルノとホルクハイマー
アドルノとホルクハイマーの著書、特に『啓蒙の弁証法』は日本人研究者でも解読が難解と言われています。
当然、大学で歴史学を専攻せず、世界史ニガテマン、本読むの苦手な私は難解中の難解。
大学で働くドイツ語の先生と一緒に文章を読みましたが、その人が歴史学専攻して居なかったらまず何言ってるか理解できませんでした💦
私はこのテーマでレポート(Hausarbeit)も書きました!
が、アドルノとホルクハイマーの抗議へ参加経験のある小牧治さんの本や、『啓蒙の弁証法』の日本語解説書『啓蒙の弁証法』を読むがなければ、このゼミのHausarbeitをかけなかった……。
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まじ気になるからと言って、軽率に徳永書店の翻訳版買ったら痛い目見ます……。必ず『啓蒙の弁証法を読む』をお供に読むのがいい。
片手に翻訳版、画面にドイツ語版、もう片手に『啓蒙の弁証法』を読むでしのいだよ……
また話がそれた!!戻りますね!!
「啓蒙」の光と影をAnthropozänから読み直す
彼らが『啓蒙の弁証法』を書いたのは、第二次世界大戦のただ中。
科学と理性が人間を自由にするはずが、逆に支配と破壊の道具になっていった。
そのパラドックスを暴いた本です。
この「理性の自己破壊」というテーマを、私はAnthropozänの文脈で読み直しました。
便利さと効率を追い求める近代的理性は、環境破壊や気候危機という形で、いま再び自らを脅かしている。
啓蒙とは、自然を理解することだったのに、その理解が自然を“征服”に変えてしまった。
アドルノ的に言えば、私たちは再び「啓蒙の神話」に囚われているのかもしれません。
科学や技術が万能であると信じることこそが、地球との関係を歪めてきた——そう考えると、歴史学にも責任があるように感じます。
こういう時に、この人今も存命だったらどう思っているんだろう……ってやつですね。
「未来の過去」を書くということ
また、Hausarbeitを書く際に印象に残っているのが、偶然見つけたドイツの歴史学者サンドラ・マース(Sandra Maß)の『Zukünftige Vergangenheiten(未来の過去)』という本です。
彼女は気候危機の時代に「歴史を書くこと」の意味を問い直しました。
Sandra Maßが問いかける“燃える地球の上の歴史”
彼女は読者にこう問いかけます。
「燃える地球の上で、歴史家であることにどんな意味があるのか?」
Maßは、気候危機を“未来の出来事”ではなく、すでに“現在の記憶”として書く必要があると言います。
つまり、「未来の人々が振り返る“過去”を、今つくっている」という視点です。
それを読んで、私はハッとしました。
歴史を書くことは、単に過去を記録することではなく、これから誰かが生きる世界を形づくる行為なんだ、と。
おわりに:地球とともに考える
このゼミで一番の学びは、「歴史を語ること=人間の声を聴くこと」ではなくなりつつある、という気づきでした。
動物、気候、土壌——それらもまた、語りの主体になりうる。
そして、人類の過去を“反省”として語るだけでなく、「どんな未来の過去を残したいか」という視点が求められている。
アドルノの言葉を借りるなら、「真の歴史とは、破壊を繰り返さないための記憶」なのかもしれません。
歴史を学ぶことは、未来を変えることの一端である。
気候危機というと暗い話に聞こえるけれど、歴史を学ぶことは、まだ何かを変えられるかもしれない——そんな希望の学問なんだと、改めて感じた夏でした。
最後まで読んでくれてありがとダンケ!
あさひなペコ